正門良規が生んだ染み(染、色考察)

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桜(ソメイヨシノ)が10月に咲いたりといったーー花が季節外れの時期に開花するーー現象を、「狂い咲き」と言うらしい。


舞台「染、色」
(脚本:加藤シゲアキ・演出:瀬戸山美咲・主演:正門良規)

自担の演技を目当てに観劇した。
今から考察を書いていきたいと思うが、初めに言っておきたい。

「これはただの自己満である」と。

自分の中でも考えがまとまっていないし矛盾だらけだが、それでもこんな記事を書いているのは、せっかく無い頭を働かせて生み出した考察を発表したいという、いま流行りの承認欲求からである。
解釈に正解や不正解はないし、脚本家もあまり覚えてないらしいということを前提としてほしい。
なおこの口調は「なんとなく文学解説っぽく書こうかな!」という軽いノリである。
タイトルはとりあえず名前を入れるかつ簡潔に纏めたかったからこうなっただけで、適切な表現をするならば「正門良規(主演の舞台染、色)が(私の人生に)生んだ染み」となる。

さて本題へ入ろう。
様々な考え方がある中、私は冒頭に書いた「狂い咲き」という言葉を主軸として、考察をしていきたいと思う。

物語序盤で、主人公:深馬(みうま)〈正門良規〉の友人である北見〈松島庄汰〉が、去年の10月に帰省した際、何故かソメイヨシノが咲いていた、という話をする。
深馬は10月に咲いた桜が次の春にも咲くのか、ということが気になるようだったが、北見はそこに興味はなく、ただ祖母が春にも「こげぇ綺麗な桜を見たのは初めてじゃッ!」と言っていたと、大袈裟なモノマネをして伝える。その桜が同じ木なのかは不明。
(ツッコミ待ちだったが深馬がつっこんでくれずもどかしくなっていた北見が可愛かった)
この話は別のシーンでも出てくる。北見と、同じく深馬の友人の原田〈小日向星一〉と、彼女の杏奈〈黒崎レイナ〉が3人で話すシーンだ。桜が秋に咲いたという話をし、原田が「それって……」と言ったところで場が転換する。
続きの言葉が気になるが、完全に伏線の顔をしているし後で分かるだろう。……そう思っていたが、続きの言葉は結局最後まで分からなかった。
観劇してしばらく経った後に無性に気になり、【秋 ソメイヨシノ 咲く】で検索した。すると、○○で10月にソメイヨシノ開花! といったニュース記事が複数と、その事象についての解説のようなページが出てきた。
花が季節外れの時期に開花する現象を、「狂い咲き」と言うらしい。比喩的に、「盛りを過ぎたものが、ある時期だけ勢いを盛り返すこと」という意味もある。

深馬が大学講師の滝川〈岡田義徳〉に、絵について相談するシーンがある。
自分の絵が納得のいくように完成せず、「何かが枯れてしまったようなんです」とすがる深馬に対し、滝川は「その若さで枯れることはない」と諭す。
なおこの時、滝川は深馬の顔ではなく、下半身を見て言っている。笑うポイントだったのかもしれない。(東京公演の配信ではそうではなかったため、途中からそう変えたのだろうか)
とにかく深馬はその時点で、自分は絵に対する衝動が枯れてしまっていている、と思っていた。
この「枯れる」という言葉が「桜が咲く」ということに相対しているとしたら。

深馬が狂い咲きする、というひとつのテーマが見えてくる。

劇中にあったように、深馬は3年生のときの展覧会までは生き生きとしていた。しかしその展覧会で気持ちが落ち込んでからは、あまり遊ばなくなった。北見は「深馬は自分の限界に気付いてしまった」のだと杏奈に説明し、原田も共感している。
「枯れる」という比喩がそのことも含むとすれば、「狂い咲き」は”絵に対する衝動が(一時的に)復活し、際限なく絵を描くこと”という意味ととれる。
そして物語は、そういう展開に向かっていく。

その要因となったのが、麻未(まみ)〈三浦透子〉の存在である。
深馬の未完成な絵を完成させる麻未。深馬の心理をつき、意気投合し、一緒にグラフィティアートを描いてまわる。
深馬は杏奈という健気な彼女がいるにも関わらず麻未と絵を描き、体を重ね、秘密の関係を続けた。最低だ。
しかし深馬が咲き誇るには、無くてはならない存在だった。


話は変わるが、この舞台は原作小説とは殆ど別物だ。
主人公や腕にカラースプレーを振る女の名前も、周りの登場人物も違う。なぜか杏奈だけは杏奈だが。
ただ大まかな流れとしては同じで、

現状に満足のいっていない美大生(彼女持ち)が、腕にカラースプレーを吹き付け壁に絵を描く女に出会う。互いに惹かれ合い、一緒に街の壁に絵を描き、体を重ねるという生活を続ける。ふとしたきっかけで会うことをやめるが、またふとしたきっかけで主人公は女に会いたくなる。しかし女は既に消えており、女のいない部屋で自分を慰めるが、最後には彼女の杏奈に電話をかける。

共通点を凝縮するとこうなる。
だが小説には友人の名前も講師も、桜の話や絵についての悩みも出てこない。どちらかというとラブストーリーだ。
一番相違している点はやはり、スプレーの女の設定だろう。
小説では女:美優は、主人公:市村と同じ美大に通う大学生だ。卒業後の進路などについても書かれている。
しかし戯曲では、麻未は大学生でもなければ将来も描かれていない。そもそも本当に存在していたのかが曖昧にされている。そしてこの舞台の最大の論点はそこだ。

ストーリーをそのまま落とし込むと、麻未は【深馬の身体の中にいる別人格】と受け取れる。名前も「みうま」と「まみ」で、麻未が「ま行だらけだね」と言って名前を強調していたのも、観客に名前の意味を考えさせるためだろう。母音を抜けば逆さ言葉だ。
物語の終盤、卒業式後の打ち上げで麻未=深馬だったと明かされる。実際には麻未なんて人物はいないし、ポリダクトリーは他の人の作品だし、滝川は嫉妬に駆られて変な行動を起こしていなかった。原田が滝川を好きだったということも深馬は知らないはずだった。
(原田の態度や反応から、滝川に尊敬以上の好意を抱いていたと推測できる)
その場合どこまでが正常で、どこからおかしくなったのかーーそれは最初の場面で、絵が倒れて油絵の絵の具が深馬の腕に付いたときだろうと思う。偶然に腕が染まったことで「腕を染めて絵を描く女」の人格が生まれ、自分では気付かない深層心理を表現した、ということになるのだろう。

逆に、【麻未は実在する】という説も考えられる。
麻未は実在し、ポリダクトリーは深馬と麻未の合作。その作品を自分が描いたことにしようとする滝川と協力する原田。深馬視点の全てが真実だったとする。
そう考えられる描写はいくつかある。
・深馬の襟足に付いたスプレーの塗料
・肩車された麻未が吹き付けたスプレーが、部屋の壁の手が届かない場所に残っている
・ポリダクトリーが一人なら、タギングをわざわざ6本指にする経緯と理由が考えづらい
今思いついたのがこれくらいだ。
なお麻未のバックボーンが具体的すぎるという点に関しては、そのことが深馬以外の第三者に知られたり、何か記録等に残っているわけではないので根拠とはしない。
麻未実在説の場合、打ち上げのときの会話に矛盾が生じるため、深馬以外が記憶を変えられたという壮大な出来事になってしまうところが難しい。

麻未という人間は実在するのか、それとも深馬の中の人格なのか。

ーー私は、その中間だと考えている。
つまり【麻未は実在しているが、深馬の幻想だった場面もある】ということだ。

注目したのは”服装”である。
杏奈が就活の面接を受けているとき(観客から見ると)その目の前で深馬と麻未がセックスをしているというエグいシーンがあるが、そこまでの深馬は白いTシャツに白のシャツを羽織り、白のパンツを履いている。
しかしその次のシーン。大切に描いていた絵が壊されているのを発見するシーンから、黒のシャツ、黒のパンツに変わっている。
反対に麻未は初めから黒づくめだった。つまり二人は体を交えることで心まで混ざり合い、深馬は麻未に染められたのだ。この時から深馬の中に幻想の麻未が現れ、対話に見せかけた自問自答をしてゆく。
君は何にだってなれるんだよーーそれは”ちゃんとした不幸と、ちゃんとした自由”のない深馬が、一番求めていた言葉だった。

次に深馬の衣装が変わるのは病院のシーンで、グレーのパーカーになっている。そこでの北見や原田との会話には矛盾はなく、これまでの深馬の体験とリンクしている。ただこの会話も、夢と現の狭間で見た幻想だったのだろう。
病院のシーンが終わるとパーカーを脱ぎ、深馬のモノローグを経て白のシャツに戻る(パンツは黒のまま)。そして来るのは卒業式の打ち上げシーン。

白に戻った深馬は、麻未なんて女が実在しなかったことを知らされ混乱する。そこから、今までの出来事が麻未=深馬のバージョンで再現されるが、何故か杏奈らの台詞が少し違う。つまりこの再現も、深馬が辻褄合わせに造り出した妄想に過ぎないのだ。と私は考えている。

深馬は、麻未が存在した証明(一人では手の届かない場所に付いているスプレー)が残る、麻未の部屋に行く。そこでやはり麻未がもういないことを思い知らされ、泣きながら自分を慰める。
男性において初めてのマスターベーションは、一種の通過儀礼のようなものだ。それと同じことをこの状況で行うことで、またひとつ”それまでの自分”と区切ることができるのだと思う。
そして杏奈と一緒にいることをを選ぶことで、麻未との思い出は完全に過去のものとなる。
とまぁそれらしく言ってみたがここは正直、なんとなくである。

最後に麻未は、白いワンピースを来て舞台に現れる。ここで強調したいのはやはり、服の色である。これまでずっと黒を纏っていた麻未が、最後の最後で白くなるのだ。
それは、深馬の中の麻未が浄化された(消えた)ということを意味するのだろう。しかし麻未視点でいうと「深馬に染められた」と捉えることはできないだろうか。


ここでテーマを戻そう。
最後に出てくる白いワンピースの麻未。
その上では花びらが散っていた。春の桜である。
夏の前から秋にかけて狂い咲きした深馬は、春にもまた麻未の元で咲き、散ったのだ。

深馬にとって麻未は嵐のような存在だったが、麻未にとっての深馬もまた、周りの環境に左右され季節外れに狂い咲く、変な桜のような存在だったのだろう。
二人は互いに影響しあい、相手に染みを残したのだ。


ーーと、まとまってはいないが、以上を考察のまとめとさせていただく。

深馬、麻未、北見、原田、杏奈、滝川。全ての登場人物に人生がある物語だった。語彙力が乏しくて申し訳ないが、「すごい」の一言に尽きる。

一度付いた染みは消えることはない。

舞台「染、色」は、私の人生にとっても間違いなく、消えることのない染みとなったのだった。


P.S.
登場人物一人一人を掘り下げてもっと考察を書きたかったが、それは他の方の考察で補おうと思う。

ひとつ書こうか迷った考察がある。それは「この物語すべてが、原田の作ったドキュメンタリーだった」という、クレヨンしんちゃんの都市伝説みたいな解釈だ。
思いついて2秒でボツにした。#染色


2022.2.23 追記
こちらから戯曲が読めるみたいです(2022.3.1まで)↓
読んでみる!『加藤シゲアキ『染、色』WEB公開』 https://www.yondemill.jp/contents/51545

重岡大毅の世界観

はじめまして。
タイトルの通り今から重岡くんのことつらつら書いていきますが、私自身は神山担です。いや厳密に言えば、関西Jr.の正門良規担で、神山推しです。

個人的な話ですが最近の色々で、もうジャニーズ追うのやめようかな、と思ってました。
そんな時に誘われて参戦した、2/10昼の大阪城ホール
【間違っちゃいない】を生で聴いて震えました。泣きました。
それがきっかけとなり、こんな記事を書いてます。
本題は歌の深読みなんですが、その前に私の思う重岡大毅について語らせてほしい。

私が初めて見た重岡くんは、「7WESTの重岡大毅」でした。主に6人だった時代。
当時私は神山くんではなく、今はすでに辞めてる子が好きでした。重岡くんのことが大好きだった彼、と言えば、分かる人は分かるはず。
だからこそ重岡くんが誰よりもかっこよく見えたし、眩しかった。キラキラ輝く7WESTの、関ジュの、センターでした。
7WESTの中では最年長で、少年っぽさはありつつもしっかりみんなを引っ張っていた印象があります。ふざけるけど頼れるお兄ちゃん。たまにクールだと思う瞬間さえありました。
まぁ当時の自担が「しげー♡♡」とベタベタしてたのをウザがってた、というのもありますが。
とにかく、この時は重岡くんがキラキラ輝いて見えていました。
なんの闇も感じなかったんです、この時は。

↓ここから次の線まで読まなくていいです
――――――――――

自担が辞めて神山担になってからも、重岡くんのイメージは変わりませんでした。
そして忘れもしない。2014年1月1日。
重岡くんがなんか持って走ってきたと思ったら、「ジャニーズWEST 4」デビュー、って。
見学席の小瀧くんのところまで行ってメンバー発表して。
いやふざけてんのか、と思いました。
グループ名に数字を入れるのよくない。ってそんな次元の話じゃなく、絶望の極み。
怒られるの覚悟して正直に言うけど、「その4人だけで本当にやっていけると思ってんの?」って、ブチ切れた。
4人が嫌いなわけじゃないんです。人間性も、ビジュアルも、演技やバラエティに関しても、たぶんそれなりにやっていけてた。
けどアイドルって、歌って踊るじゃないですか。それが一番多いお仕事じゃないですか。
4人(重岡 桐山 中間 小瀧)の声の幅、質って限られてくるし、低音もハスキーもラッパーもいない。アクロバットは照史くんしかできないし、ダンスがめちゃくちゃ上手いわけでもない。
もちろん、当時の話です。
デビューしても埋もれてしまうなら、このまま皆で一緒にいてほしい!!!って5年前の私は東京のホテルで泣いた。
そのあとの1ヶ月は地獄でしたね。メンバーも、関ジュ担も。

それから、忘れてはならない、2014年2月5日がやってきます。
7人で「ジャニーズWEST」としてデビュー決定。
は〜〜〜もうほんとに良かった!デビューできる人数が増えて!自担がデビューできて!
って気持ちにはなったものの、やっぱり残される人たちはいるわけで。もやもやは完全には取り除けませんでした。
最初に発表された4人と、後から追加になった3人で、扱いの差も確実にありましたし。

――――――――――

そして記念すべき2014年4月23日。
デビューして下積みから抜け出せたジャニーズWEST
その時から、私は重岡くんに対して違和感を覚え始めました。
「この笑顔、本物なんだろうか?」と。
私にはどうしても、無理矢理笑顔を作ってるように見えたんです。
デビューできて嬉しかったから?お兄ちゃんができて、思いっきり甘えられるようになったから?
そうじゃない。いや私の勝手な思い込みなんですが、「ジャニーズWESTのセンターとして、顔として、明るく元気に振る舞わなければならない」という使命感とキャラ作りがあったんじゃないかと思ってます。

もちろん180度キャラ変したわけでもないし、本人にそんなつもりは無かったかもしれない。現に5年経った今でも、変わらず「ニコニコ天使ちゃん」は存在している。
今は私も違和感なんて感じてません。それが重岡くんの普段の性格なんだと、いつの間にか自然に受け入れられていました。

だからきっと、私の気の持ちようだったんだな、と思うようにしました。

もう少し前置きに付き合ってください。
まさかこんな長くなるとは自分でも思ってなかった。

時系列的には少し戻りますが、私が初めて重岡くんのワードセンスに震えた話をします。
2014年4月9日のザ少年倶楽部。そう、重岡くんと流星くんの、あなたにお手紙書きましょうのコーナーです。
重岡くんから流星くんへのお手紙で、7人でデビューが決まったときのことを書いていました。

「デビューが決定したあの日、一緒に食べたご飯の味、今でも忘れません。……なぜかちょっと、しょっぱかったね」

え、好きやん。なんか、めっちゃ好き。(語彙力)
て感じで感動して、そこから重岡くんの詩的なセンスに魅了されていったのです。

ブログとかでも、テキトーで短い記事があったかと思えば、詩的な記事もあったりする。面白おかしく書いてるようでも、前後のフラグ回収がめちゃくちゃ綺麗だったりする。
文学作品とかが好きな私にはたまりません。

また、作詞した曲で初めて出された【乗り越しラブストーリー】。
心を切符に例えて、恋愛を乗車に例えて。隠喩表現のプロかと戦慄しました。

そしてそして。本題の【間違っちゃいない】。
音源で聴いたときも普通に泣いた。ただ、予習のためと思って聴いてたのでそれまででした。……ライブで聴くまでは。
「伝えたい人がいる」とかそういう歌の前置き、ずるすぎるじゃないですか。私の中の考察厨が立ち上がってしまうじゃないですか。


というわけで以下、上記を踏まえて【間違っちゃいない】の考察です。


間違っちゃいない
作詞・作曲:重岡大毅

―――――
涙 一粒
星降る夜に
光れない 馴染めない
なぜ同じ様に生きれないの
―――――

涙を零しながら星空を見上げて、「光れない、馴染めない」。きっとその星空はとても綺麗で、数え切れないほどの明るい星が光ってるんだと思います。その中の星になりたい、光って夜空に馴染みたい。星は、デビューして輝いてる人のことかな。
なぜ同じ様に生きれないの、は誰でも考えることですよね。つらい時期には特に、どうしてあの人の様に生きれないんだろう、どうして自分はここにとどまってるんだろう、って。
涙 という言葉から始まる1番の風景は夜。デビューできない苦しみを歌っています。

―――――
予定詰まった
カバン捨てて帰ろうかな
眩しい近所の夜空
―――――

ぱっと思い浮かんだのは就活でした。会社説明会とか、インターン研修とか、面接とかテストとか。そういう予定でスケジュール帳が埋まっていく絶望感。
このフレーズでは、シチュエーションはどうであれ、やるべきことを全て投げ捨てたくなる気持ちがよく伝わってきます。
そして何もかも捨てて逃げる。じゃないんです。捨てて、帰るんです。自分だけの空間、安全地帯に。逃げるほど無責任じゃないけど、責任からは解き放たれたい。めっちゃ分かる。
それから歌の中で計3回出てくる「近所の空」は、夜空なのに眩しい。冒頭にもあるように、星が降るような空なのでそりゃ眩しいですね。当時はデビューして活躍している人たちの輝きが、眩しくてちゃんと見れなかったのかも知れません。

―――――
間違い探しの世界で
赤ペン持つのかい
インクが足らないね
―――――

この世界の間違いにいちいちチェックを付けていってたら、インクがいくらあっても足りない。広く考えればそういう話。
世界なんてスケールの大きいものでなくても、自分が見る世界、今までの人生だけでも間違いだと思うことはたくさんあったはずです。

―――――
間違っちゃいないよな
君と出会ったことも
夢を信じることも
答えに牙むいてさ
何度も何度でも
さよなら上の空
僕は僕で僕なんだ
間違っちゃいない
間違っちゃいないんだ
―――――

それでも間違っちゃいない。
この歌の「君」は、メンバーだったりファンだったり友達だったり、けっこう曖昧な感じがします。そこにはっきりとした意味はないと思うんですよね。とりあえず自分に関わって、見てくれる人かな、と。
そんな「君」と出会ったことも、デビューしたいという夢を信じることも、人生には必要なことだったんです。
答えに牙むくっていうのはやっぱり、4人でのデビュー発表のことが思い浮かびますよね。大人が勝手に決めた答えに、それはどうなんだって何度も反論して。結果7人でのデビューになって、やっぱりそれも間違いではなかった。
そしてさよなら上の空。ぼーっと迷うことはもうやめた、僕は僕の考えで生きていくんだ、って決意したところで終わる1番でした。
正直、ここまで暗い感情を持ってたなんて当時は分からなかった。重岡担じゃないからっていうのもあるだろうけどそれ以上に、そんな顔を見せなかった。


―――――
ないものねだり
タラレバを振り払う
朝の占い 横目で順位気にしてさ
―――――

ああしてたら。こうしてれば。別の可能性があったんじゃないか。今とは違うものが手に入ったんじゃないか。つい考えてしまうけど、そんなこと考えても意味はない、と振り払ってます。この道に進むって決めたんだ、と。
けれど朝の占い=世間の評価は気になるんですよね。いくら強がっても。
WESTは独自の路線を走り抜けてるから、周りを置いていく感じもたまにあって。まぁジャス民はそこが好きなんですけどね。
世間一般にはどういうイメージを持たれてるのか、難しいとこではある。

―――――
理想と現実で結ぶ靴ひも
歩けるかな
教えて近所の青空
―――――

個人的にここがめちゃくちゃ好き。美しすぎる比喩表現と、裏打ちのリズム。
理想と現実を重ねて、結んで。ちゃんとバランスを保って歩けるかな、という不安が見えます。
そして2回目の「近所の空」は青空。デビューという日の目を見て、明るくなりましたね。けど照らされてはいても、まだまだその下でふらついてしまうような、不安定な感じです。

―――――
ぐるぐる渦巻く世界で
君が花びら
花丸つくれるね
―――――

ペンを持ってぐるぐると渦巻きを書きます。その周りに花びらを付けます。するとあっという間に花丸のできあがり!
てことで。目が回りそうな、自分がどこにいるのかも分からないような世界。独りでぐるぐる巡っていてもどこにも辿り着けない。そこで「君」が現れて、正解へ導いてくれます。やっぱり人は独りじゃ生きられない。

―――――
間違っちゃいないよな
消えたくなった夜も
逃げたくなった朝も
まぁまぁカッコいいんじゃない
泣きたくて泣けなくて
”お疲れ”と夕日が ほら
君は君で君なんだ
間違ってもいい
間違ってもいいんだ
―――――

消えたくなった夜、逃げたくなった朝。このフレーズにぐさぐさ心臓刺されました。共感しかない。
ここに来て歌の主人公……はまぁ重岡くんだと思うんですけど、急に「君」を励ましてくれます。聴く側も急に「君」の気持ちになっちゃいます。
ただ、励ましてるようで自分にも言い聞かせてる節がある。
彼自身にもそういう経験があったからこそ、具体的に気持ちを理解してくれるんですよね。カッコいいとか照れる。
”お疲れ”、そして夕日。どちらの言葉も一日の終わり、別れを表してます。一日が終わって一人になったときぐらい、泣いてもいいんだよ、って。優しく「君は君の考えで生きて。間違ってもいいんだ」なんて、完全に泣かせにかかってますよね。泣かせてくれてありがとう。すっきりした。
以上、2番は明るい空の下=デビュー後の葛藤と、それをもって周囲への励ましを伝える内容でした。


―――――
頑張れなくていい
嫌になったっていい
情け無くていい
ダサくていい
怖くなってもいい
どんな自分だっていい
―――――

ここは応援ソングではありきたりな歌詞。それでも「僕」に言い聞かせ、「君」に届けるような歌い方が、また聴くほうの心臓をぶっ刺してくる。


―――――
どうしようも無いくらい
どうしようの繰り返し
誰が明日を知ってるんだ
誰にも解らないから
―――――

結局みんな迷いを繰り返して、何が起こるか解らない明日に向かって生きてるんです。

―――――
君と出会ったことも
夢を信じることも
答えに牙むいてさ
間違っちゃいないよな
目が合う近所の空
僕は僕で僕だ
間違っちゃいない
間違っちゃいないんだ
―――――

1番の繰り返しが入ります。1番では少しネガティブだった言葉も、明るくなったあとだとポジティブな言葉に感じますね。
ここでの「答えに牙むいてさ」は、自分のやりたいこと、思うことを主張する精神。それこそライブの演出とかね。
そして今までは見上げるだけだった「近所の空」と、目が合います。
そう、最初から手が届かない存在ってわけではなかったんですよ。あくまで「近所の」なので。
だから、もっと上へ行って手を伸ばせば届くし、星にだってなれる。
(てか今気づいたけど 星になる って表現ちょっと物騒ですね。星(よみ:スター)ってことにしてください。)
それから1番では「僕なんだ」だったのが、ここで「僕だ」に変わる。感情的に訴えるイメージから、自分の考えをどストレートにぶつけるイメージに。決意の強さが変わりました。カッコいい。

総じて、重岡くんの今までの人生も、メンバーのそれぞれの思いも、今のJr.の活動も、私たちの生活も、

―――――
間違っちゃいない
間違っちゃいないんだ
―――――

って重岡くんは思ってくれてるんですよ。
え、好きやん。

歌の長さが4:23ということでジャニーズWESTの始まりと、フェードアウトで終わることでジャニーズWESTのこれからを表しているんですよね。
歌詞だけじゃなく曲までもしんどいとか。すごい。

というわけで、結局私が何を言いたかったかというと

重岡大毅の世界観と、それを表す文才に惚れた」

ってことです。
過去に闇を抱えていたからこそ今の重岡大毅がある。
これからも悩むことや迷うことだってあると思うけど、前に進んでほしい。
明るい光を、その笑顔で届けてほしいな、と思います。


以上、神山担が解釈する重岡大毅でした。